1997.02.22

法曹の「粗製濫造」は許さない 司法修習期間の短縮と分離修習に反対する決議

最高裁と法務省は、司法試験の合格者が一〇〇〇名になることを機に、現行二年の司法修習の期間を一年に短縮しようとしている。しかも、短縮された実務修習期間の中で修習生の希望により裁判・検察・弁護の配属先を選択できる期間を設け、事実上の分離修習の道を進めようとしている。私たちは、法曹(裁判官・検察官・弁護士などの法律実務家)の「粗製濫造」ともいうべきこのような提案に反対し、二年間の司法修習期間の堅持と裁判官・検察官・弁護士志望者の統一修習制度の確保を主張するものである。
現在、司法制度を担う裁判官・検察官・弁護士は、司法試験に合格した後二年間の統一的司法修習を経て、判事補・検事として採用され、あるいは弁護士登録をした人たちである。司法制度を担う法曹に司法修習が必要とされるのは、単に司法試験に合格する知識があればよいというだけでなく、裁判官として「独立してその職務を行ひ」(憲法七六条)、検察官として捜査や公訴の提起などを行い、弁護士として基本的人権の擁護や社会正義の実現に寄与するための基礎的な実務訓練が不可欠だからである。
とりわけ裁判官や検察官にあっては、裁判権や検察権という国家権力を行使するものであり、その地位に就く前に、紛争当事者の声に直接耳を傾けるなど、人権感覚が十分に涵養されていなければならないものである。そのためには、戦前の官僚的司法官養成に換え、法曹を「統一・平等・公平」の理念に基づいて養成しようとする現行の司法修習制度の根幹は、あくまでも堅持しなくてはならないものである。
日本社会の国際化・多様化・高齢化などの進行に伴って法的紛争の太陽も変化しているし、経済的・社会的強者による弱者の人権の侵害も後を絶っていない。このような状況下でこそ、国民の生命・自由・幸福追求権は国政の上で最大限尊重されなければならないものである(憲法一三条)。そのために今、「法の支配」を原理とする司法の強化が求められているのである。「法の支配」が軽視されるとき、そこには経済効率最優先の弱肉強食の社会が展開されるであろう。このような司法の強化に応えることのできる法曹の養成が求められているときにしなければならないことは、司法修習の充実であって、その期間を短縮することではない。
今まで二年をかけて修習したものを一年で済ませてしまうことは、未熟な法曹に司法制度を担わせることを意味しており、日本の司法を国民から遠ざけるものである。
最高裁と法務省は、合格者の急増に伴って十分な実務修習態勢が確保できないから、修習期間を短縮したうえで、それぞれ実務家になった後に継続的に教育を行えばよいと主張する。しかし、こうした考え方は、官僚的法曹を養成する論理であって、社会の実情を理解しこれに応えうる法曹は育たないと言うべきである。
仮りに、裁判所や検察庁が実務修習期間が十分とれないというのであれば、弁護士会での修習期間を増加させてでも、充実した実務修習を確保すべきだと考える。
司法修習期間の短縮問題は、日本の司法制度がどのような能力と資質を持ち、どのような訓練を受けてきた人材によって運用されるべきなのかという国民主権に基づく課題であって、最高裁・法務省・日弁連の「法曹三者協議会」の議論と結論に委ねられるべき課題では決してない。私たちは、この問題の本質を広く国民に知らせ、民主主義国家における法曹養成制度のあり方について国民とともに探求し、司法修習期間の短縮と分離修習に反対し、法曹の「粗製濫造」を許さない決意である。
右決議する。

1997(平成9)年2月22日
埼玉弁護士会 1996年度臨時総会

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