2005.03.15

「人権擁護法案」に反対する声明

日弁連や各メディアをはじめとして世論の厳しい批判を浴び、2003年に廃案となった「人権擁護法案」が、今国会に再提出される見通しである。

この法案が厳しい批判を受けたのは、主に、人権侵害を救済する「人権委員会」が法務省の外局に設置されること、過剰な取材やプライバシー侵害の報道を「特別救済」の対象としてメディアを規制することの2点についてであった。当会も、2002年5月17日同様の立場から、「人権擁護法案」の成立に断固として反対する声明を発している。

今回の法案では、メディア規制条項に関して当面「凍結」とし、「別に法律で定める日まで実施しない」とすること、法律施行から一定期間が経過した後に必要な見直しを行うという修正が施される予定である。しかし、同条項は、本来削除されるべきであり、「凍結」は削除とは異なる。あれほど反対の強かったメディア規制条項を削除するのではなく「凍結」するというのは、将来「解凍」する含みがあることは明らかである。

結局、今回提出される「人権擁護法案」も、2003年に廃案になった法案と全く骨格は変わっておらず、同様の批判がそのまま当てはまるのである。
即ち、「人権委員会」を法務省の外局として設置することは、組織的にも人的にも法務省に依存することになり、その独立性に強い懸念を抱かざるを得ない。1993年に国連総会において採択された「パリ原則」は、国内人権機関は、いかなる外部勢力からも干渉されない独立性をもつものであることを要請しており、今回の法案はこれに合致しない。まして、刑務所における暴力事件や入国管理局における人権侵害など国の人権侵害行為のかなりの部分が法務省の管轄する部署において発生していることを考えると、上記の懸念は極めて切実である。

また、この法案の特徴の一つは、過剰取材などによる報道機関等の人権侵害を独自の救済の対象としていることである。本来民主主義社会において重視されるべきはメディア側からの権力への監視機能であるが、この法案は公権力によるメディアへの監視が企図されており、本末転倒である。おりしも近時の「NHK問題」に見られるように、メディアに対する権力の介入を疑わせる事態が出現してなか、本法案によりメディア規制に途を開くことは、メディア側の一層の萎縮効果を招きかねず、ひいては国民の知る権利を危機に陥らせるおそれが大きいと言わざるを得ない。確かに、メディア側の集団的過剰取材に行き過ぎたと思われる場合もないではないが、それは本来メディア側の自主的な努力に委ねられるべきものである。現に、日本新聞協会が調整・裁定機関を設けるなど、自主的な改善努力も始まっている。

上記のとおり、今回の「人権擁護法案」は、廃案になった先の法案と同様、憲法や人権保障原則に照らし極めて問題が多い。また、世論からの強い批判を浴びて廃案になった法案を何ら本質的な修正を加えず、再度提出することは、民主主義の原則からいっても強い疑問がある。
よって、当会は「人権擁護法案」の再上程に断固として反対することを表明するものである。

2005(平成17)年3月15日
埼玉弁護士会 会長 中山福二

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