2013.05.24

違法な「水際作戦」を合法化する 「生活保護法の一部を改正する法律案」の 廃案を求める会長声明

  1. 政府は本年5月17日,生活保護法の一部を改正する法律案(以下,「改正法案」という。)を閣議決定し,衆議院に提出した。
    改正法案によれば,生活保護の申請は,申請書を提出する方法で行わなければならず,かつ,同申請書には,保護の要否を判断するために必要な資料を添付しなければならない(24条1項,2項)。また,保護実施機関において申請者の親族が民法上の扶養義務を履行していないと認めた場合,開始決定に先立ち,当該親族に厚生労働省令で定める事項を通知するよう義務づけるとともに(同条8項),扶養義務者の収入・資産状況につき,銀行や雇用主,官公署宛て調査する権限を保護実施機関に付与し,官公署にはその回答義務を課した(29条)。
    かかる改正法案は,これまで生活保護の窓口において市民の生活保護利用を抑制するために行われてきた違法な「水際作戦」を合法化するものであり,到底容認できない。
    この点,厚生労働大臣は,これまで実務で行われてきたことを明文化するだけであり,運用面に何ら変更はないと説明している。
    しかし,現行実務を明文化するに過ぎないという厚生労働大臣の弁明は,以下述べるとおり,明確に誤りである。
  2. すなわち,まず保護申請の要式行為化について,現行法上,生活保護の申請は書面によるべきものとされていない。保護申請は要式行為ではなく,申請書面は,申請の存在を明らかにするための手段に過ぎず,口頭による申請も生活保護上の「申請」として認めるのが従前の厚生労働省の公式見解であり,確立した裁判例でもある。保護の申請に来た市民に対し申請書を交付せず,口頭による申請を「申請」扱いしないで追い返すといった福祉課の対応は「水際作戦」と呼ばれ,現行法下では違法である。改正法案によれば,いかに生活保護申請の意思を訴えても,福祉課窓口で申請書の提出を拒否され,申請書を提出できなかった市民は,法的に救済されないことになりかねない。
    また,現行法は,要保護性の疎明を申請の要件としていない。要保護性の有無は,申請者が申請時に疎明すべきものではなく,申請を受けた保護実施機関が法定期間内に調査し,判断すべきものである。申請者が要保護性を明らかにする書類を申請前に揃えなければならないとする改正法によれば,国民に保障された生存権(憲法25条)の程度は,個々人の書類収集能力によって変動することになる。保護実施機関が書類不備を理由に申請を受理しないという,現行法下では申請権侵害として違法な行為も,改正法下では適法となりかねない。
  3. 次に,扶養義務者への調査権限の強化について,現行法上,扶養義務者による扶養義務の履行は,生活保護を申請する要件ではない。親族による扶養が保護の要件であるかのごとく説明を行い,その結果保護申請を諦めさせるようなことがあれば申請権侵害にあたる,というのが従前の厚生労働省の公式見解であり,確立した裁判例でもある。保護の申請に来た市民に対し,扶養義務をことさらに強調し,親族の扶養をさらに求めなければ生活保護を受けられないと誤信させ,あるいは,保護を受けると親族に迷惑がかかるなどと説得して保護申請を断念させるといった対応は,古くから用いられる典型的な「水際作戦」の手段の一つであり,現行法下では違法である。しかるに改正法案は,扶養義務者への事前通知と扶養義務者に対する調査権限を詳細に規定し,さらには一部照会先に回答義務まで課している。かかる改正法案下にあっては,保護実施機関が,申請に来た市民に対して親族の扶養義務を従前以上に強調し,保護申請をした場合親族が受ける不利益(勤務先に照会される,資産調査を受ける等)を説明して申請を断念させたとしても,適法に手続きを説明した結果にすぎないとされかねず,申請権侵害のそしりを受けずに申請を抑制することが可能になる。
    上記の通り,改正法案は,現在全国各地の福祉事務所で行われている違法な「水際作戦」を追認し,合法化するものと言わざるを得ない。
  4. 当会は本年2月,「三郷市生活保護国家賠償訴訟さいたま地裁判決に対する会長談話」を発した。同地裁判決は,保護申請の意思を有して来所した市民に,さらなる親族の扶養や増収を求め,幾度となく申請書を交付しなかった被告三郷市の対応につき「申請権侵害」の違法を認めたものである。当会は,上記談話において,上記判決を積極的に評価するとともに,被告及び全国の保護実施機関が本判決を真摯に受け止め,以後生活保護法の精神に則り,適正に生活保護制度を運用するよう求めた。しかるに,政府は逆に,「水際作戦」を違法とする現行法自体を改めて「水際作戦」を適法化しようとしている。かかる改正法案が法制化すれば,改正法上の「申請」の要件を満たすことができない市民が続出し,生活苦による自殺・餓死・孤立死等の悲劇を招くおそれがある。
    改正法案は,国民の生存権を保障する憲法25条を空文化させるものであって到底容認できない。よって,当会は,改正法案の廃案を強く求める。

以 上

2013年(平成25年)5月24日 埼玉弁護士会会長  池本 誠司

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