2021.01.13

「袴田事件」最高裁差戻し決定に関する会長声明

1 2020(令和2)年12月22日、最高裁判所第三小法廷は、いわゆる袴田事件の第二次再審請求について、再審請求を棄却した東京高等裁判所の決定(原決定)を取り消し、審理を同高等裁判所に差し戻す決定をした。

2 袴田事件は、1966(昭和41)年6月30日、静岡県清水市(当時)の味噌製造会社専務宅で、一家4人が殺害された強盗殺人・放火事件である。同社従業員の袴田巖氏が同年8月18日に逮捕され、1968(昭和43)年9月に一審静岡地裁で死刑判決が出され、その後この判決は、1980(昭和55)年11月に最高裁で確定した。しかし、袴田巖氏は、第1回公判から現在に至るまで犯人性自体を争ってきている。
第二次再審請求審において、静岡地方裁判所は、2014(平成26)年3月27日、本田克也教授によるDNA鑑定及び弁護団による味噌漬け実験の信用性を肯定した上で、袴田巖氏が犯人であることの根拠とされてきた「5点の衣類」が捜査機関によってねつ造された可能性があるとして証拠から排除し、「5点の衣類」以外の証拠では袴田巖氏が犯人であると認定することができないとして、再審開始を決定した。これに対し検察官が即時抗告をしたところ、東京高等裁判所は、2018(平成30)年6月11日、DNA鑑定及び味噌漬け実験の信用性を否定し、再審請求を棄却する決定(原決定)をした。これに対し、袴田巖氏の実姉が最高裁判所に特別抗告を申し立て、本決定に至った。

3 ただ、本決定は、DNA鑑定については、試料の劣化等を理由にその信用性を否定した。他方で、原決定が「5点の衣類」の血痕の色に関する味噌漬け実験の信用性を否定した点については、その判断過程に疑問があること等からこの点が審理不尽であるとして東京高等裁判所に差し戻したものである。
ところで、そもそも原決定は、多数の経験則違背や科学的法則の誤解に基づいてDNA鑑定と味噌漬け実験の信用性を否定するという極めて不当なものであった。そして、本決定でも、原決定の判断過程が不当なものであるという限りでは裁判官5名の意見が一致していた。
しかしながら、本決定の多数意見が再審開始を確定させることなく、東京高等裁判所に差し戻したことは疑問である。新証拠である味噌漬け実験の信用性を否定できない以上、再審事件でも「疑わしきは被告人の利益に」の原則が妥当することや袴田巖氏が満84歳と高齢であることからすれば、審理を差し戻すのではなく、再審開始決定を確定させるべきであった。
なお、本決定においても、2名の裁判官が味噌漬け実験のみならずDNA鑑定の信用性をも肯定して、原審に差戻すことなく再審開始決定を確定させるべきとの反対意見を述べている。

4 ところで、現行の刑事訴訟法では再審に関する規定がわずか19か条しかなく、実際の審理は裁判所の裁量に多くが委ねられている。このため、判断の公正や手続きの適正が制度的に担保されておらず、裁判官の顔ぶれによって審理の帰趨が大きく影響されるという「再審格差」の存在さえ指摘されている。特に深刻なのは、捜査側が保有する証拠に対する再審請求人の証拠開示請求規定が全くない点である。袴田事件第二次再審請求においても、証拠開示は一部実現しただけであるが、それでも、「5点の衣類」のうちのズボンのサイズに関する従前の検察官の主張が、その手持ち証拠と矛盾する内容であったという衝撃的な事実が明らかになるなどしているのである。
このような状況を是正するために、日本弁護士連合会は、2019(令和元)年10月4日、「えん罪被害者を一刻も早く救済するために再審法の速やかな改正を求める決議」を発出し、再審請求手続における全面証拠開示の制度化等を含めた再審法改正を政府・国会に対し求めている。
もとより、えん罪という最も忌避すべき人権侵害からの救済を図るためには、上記日弁連決議にとどまらない抜本的な制度改革が必要である。たとえば、イギリスでは、過去のえん罪事件の教訓から、1996年の法改正で政府から独立した「刑事事件再審委員会」を設置し、この委員会に検察官に対する証拠開示命令権等の強い権限を与えている。同様の制度を日本に導入するなどの根本的・抜本的な制度改革を可及的速やかに実現すべきなのである。

5 よって、当会は、袴田事件第二次再審請求の差戻審においては、本決定の反対意見の趣旨も踏まえ、早急に審理を行い、速やかに再審開始の決定を出すことを強く求める。併せて、当会としても、絶えることのないえん罪被害からの救済のため、再審制度改革を実現すべく諸活動を続けていくことを表明する次第である。

2021(令和3)年1月13日
埼玉弁護士会 会長 野崎 正

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