2020.07.08

最低賃金の大幅な引き上げを求める会長声明

  1. 中央最低賃金審議会は,本年7月頃,厚生労働大臣に対し,2020年度地域別最低賃金額改定の目安についての答申を行なう予定である。例年,当該答申に基づき各地の地域別最低賃金審議会において地域別最低賃金の改定額が答申され,これを受けて都道府県労働局長が改定額を決定している。
    昨年は,7月31日に中央最低賃金審議会が全国加重平均27円の引き上げの答申を行い(埼玉県の目安はAランクの28円),これに基づき埼玉地方最低賃金審議会は同年8月6日に引き上げ額を28円とする答申を行った。そして当該答申を受けて,埼玉労働局長は同年8月30日に埼玉県最低賃金額を28円引き上げ,926円(時給。以下同じ。)と改定する決定をした。なお,全国平均は901円となっている。
    本年度についても,従来と同様の時期に地域別最低賃金改定の目安の答申が行なわれる見込みであるところ,当会は,本年の最低賃金改定額の決定にあたり,中央最低賃金審議会,埼玉地方最低賃金審議会及び埼玉労働局長に対し,最低賃金額を少なくとも1000円とする答申・決定をするよう求める。
  2. これまでも当会は,繰り返し,最低賃金額1000円の実現に向けて,最低賃金の大幅な引き上げを求めてきたところであり(2016年10月12日付及び2018年6月19日付「最低賃金の大幅な引き上げを求める会長声明」),最低賃金額(全国加重平均額)は,2016年より毎年3%を超える引き上げが行われた。
    しかし、最低賃金法が定める「労働者の生活の安定」及び「労働力の質的向上」を達成するには,未だ不十分と言わざるを得ない。 
    すなわち,賃金収入が最低生活費以下の労働者,いわゆるワーキングプアの基準は年収約200万円(時給換算で約1000円)とされるが,現在の全国平均時給901円という水準では,1日8時間,週40時間,年間52週働いたとしても,月収約15万6000円,年収約187万円にしかならない。また,全国平均を上回る埼玉県(全国4位)の水準である時給926円で計算したとしても,年収約192万円(月収約16万円)にしかならず,上記年収約200万円にさえ届かないのが実情である。
    最低賃金周辺の賃金水準で働く労働者層の中心は非正規雇用である。非正規雇用労働者は,全雇用労働者の4割にまで増加しており,また,家計の補助的立場ではなく,自らの収入で家計を維持しなければならない非正規雇用労働者も大きく増加している。
    実際に2015年の貧困率は15.6%であり,我が国の貧困と格差の拡大は深刻な事態となっている。特に,いわゆる一人親世帯の貧困率は,同年で50.8%と,半数が貧困状態にあるが,それは,離婚時に母親が親権者となり母子家庭となるケースが多いところ,子育てとの両立困難という理由で止む無く非正規雇用労働者とならざるを得ないことが,原因として挙げられる。そして,子育て中の世帯における貧困は,子どもの身体的・心理的成長にも悪影響を及ぼすことになる。
    このような現状において,1000円を下回る最低賃金額を維持することは,新たなワーキングプアを生むだけでなく,現在貧困状態にある労働者が貧困状態からの脱出を困難にする要因ともなっている(貧困の連鎖)。深刻化している貧困と格差の拡大の問題を解決するためにも,最低賃金の大幅な底上げが早急に実現されなければならない。
  3. 先進諸外国の最低賃金と比較しても日本の最低賃金は未だ低水準にある。
    先進諸外国の最低賃金(時給)は,フランスは10.15ユーロ(約1222円),イギリスは8.72ポンド(25歳以上。約1162円),ドイツは9.35ユーロ(約1126円)であり,日本円に換算するといずれも1000円を優に超えて引き上げられている(※円換算は,2020年6月の為替レート)。
    アメリカ合衆国においても最低賃金引き上げを求める市民の声に応える形で,ニューヨーク市やカリフォルニア州など複数の市・州が15ドルへの段階的引き上げを決定したのをはじめ,全米各地の自治体で最低賃金をさらに大幅に引き上げる動きが広がり,更に,昨年には,長期に渡って7.25ドルのままであった連邦最低賃金も15ドルに引き上げる法案が提出されるに至っている。
    そのような国際的な動きの中,最低賃金が1000円を超えている都道府県は東京都と神奈川県のみであり,全国的に1000円に満たない最低賃金にある日本は,遅れをとっていると言わざるを得ない。
  4. 政府は,2010年6月18日に閣議決定された「新成長戦略」において,2020年までに「全国平均1000円」にするという目標を明記し,その後2015年11月に最低賃金を毎年3%程度引き上げ,全国加重平均が1000円程度となることを目指すとの方針を示し,更に,2019年6月21日に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2019」においては「より早期に全国加重平均が1000円になることを目指す」とされたが,前述のとおり,2020年7月現在,全国加重平均は1000円を下回っており,本年も約3%の割合で引き上げたとしても,1000円には達しない。
    先に述べた格差拡大,貧困問題の深刻さに鑑みれば,もはや一刻の猶予も許されるべきではない。
    なお,仮に,最低賃金を時給1000円としても,同賃金額をもって直ちに「労働者の生活の安定」を保障し,貧困問題を解決できるものではないが,少なくとも最低賃金額1000円への引き上げは直ちに実現されるべきである。
  5. 新型コロナウイルス感染症の流行に伴い政府が行った緊急事態宣言の影響により,経営基盤が脆弱な中小企業の廃業,倒産の増加が懸念される中,企業経営に及ぼす影響を重視し,最低賃金の引き上げに関して消極的な議論もあり,確かに,地域別最低賃金の決定については「地域における労働者の生計費及び賃金並びに通常の事業の賃金支払能力を考慮して定められなければならない」と規定されている(最低賃金法9条2項)。
    しかし,最低賃金法の趣旨は,「労働者の生活の安定」及び「労働力の質的向上」であり,また,同法の平成19年改正では,最低賃金額の考慮要素である労働者の生計費について,「労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう,生活保護に係る施策との整合性に配慮する」ものと明記することで(同法9条3項),最低賃金制度を強化し,労働者の生活のセーフティネットとすることを打ち出したものといえる。そうである以上,一時の景気変動等によって,最低賃金引き上げの方向性を止めるべきではない。
    また,非正規雇用労働者をはじめとして,最低賃金に近い賃金で家計を維持しなければならない労働者は決して少なくないところ,これらの労働者においても,新型コロナウイルス感染拡大に関連した休業,廃業及び倒産に伴う賃金の低下,解雇,雇止めといった不利益を被ったケースが散見される。こうした労働者は,緊急事態を凌ぐための貯蓄がない場合がほとんどであるが,それは,そもそも賃金自体が非常に低額であるからに他ならず,労働者の生活を守るためにも,最低賃金額の引き上げを後退させるべきではない。
    最低賃金の引き上げにより影響を受ける企業(特に中小企業)に対しては,政府が,減税,社会保険料の減免,補助金支給といった支援や,企業の生産性を強化する施策を講じるとともに,新型コロナウイルス感染拡大に備えた支援策も併せて実行し,使用者側の負担軽減にも努めることで,最低賃金引き上げの実効性を高めていくべきである。
  6. 以上より当会は,本年の最低賃金改定額の決定にあたり,最低賃金制度の趣旨及び前記閣議決定の方針に則り,中央最低賃金審議会,埼玉地方最低賃金審議会及び埼玉労働局長に対し,最低賃金額を少なくとも1000円とする答申・決定をするよう求める。

2020(令和2)年7月8日
埼玉弁護士会会長  野崎 正

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