2008.03.27

裁判員制度を成功させるための決議

2008年(平成20年)3月27日
埼玉弁護士会臨時総会

埼玉弁護士会は,被疑者・被告人の権利を擁護する責務を負う弁護士の団体として,職業裁判官が独占してきた刑事裁判に一般市民の健全な常識を反映させるものであり,また,直接主義・口頭主義を実質化した公判中心主義の裁判を実現する重要な契機となる裁判員制度を成功させる立場から,裁判員裁判に対応できる弁護態勢を確立する決意を表明するとともに,裁判員制度の問題点の改善と,刑事司法全体についての改革の必要性を訴え,広く市民の理解を求めるものである。

  1. 弁護態勢の確立を目指す
    当会は,これまでの刑事裁判が抱える問題を克服し,被疑者・被告人の権利・利益を擁護するため,裁判員裁判・刑事司法制度全般の問題点の改善,及び十分な弁護活動が保障される条件整備を要求しつつ,弁護活動の研鑽に励み,裁判員裁判に対応しうる弁護態勢を確保し,裁判員制度の実施に備えることを目指す。
  2. 裁判員制度に含まれる問題点の改善要求
    当会は,裁判員制度について以下の改善を求める。
    1. 評議の検証を可能とし,また裁判員となる市民に過大な負担を負わせないために,守秘義務の対象について限定的な解釈運用を実現し,また罰則範囲を限定する法改正を求める。
    2. 裁判官と裁判員の間に情報格差をもたらし,裁判官と裁判員が対等な立場で議論できなくなるおそれをできる限り防止するために,部分判決制度は,極めて例外的なケースに限って適用するような運用を求める。
    3. 実施後の検証を重視し,3年後の施行状況検討(裁判員法附則9条)などの機会を通じて,よりよい裁判員制度へ向けた改善を行う。
  3. 刑事司法制度全般の問題点の改善要求
    当会は,裁判員制度導入を一つの重要な契機とした取調の可視化や人質司法見直しの可能性をさらに推し進め,警察段階からの取調べの全過程の録画録音制度の導入,起訴前保釈制度創設や刑訴法89条1号4号改正など保釈制度の改革を求める。
  4. 弁護活動を保障するための条件整備
    当会は,裁判員制度の実施を控え,より重要となった以下の条件整備を求める。
    1. 拘置所での夜間休日接見の広範な実現,裁判所接見室での十分な接見時間の確保等、弁護人と被告人との十分な意思疎通を可能とするための諸施策の実行。
    2. 裁判員裁判における国選弁護人複数選任の原則的運用。
    3. 国選弁護人に対する労力に見合った報酬の確保及び必要経費の保障。
    4. 速記官の養成再開を含む公判審理の記録手段の確保。
    以上,決議する。

提案理由

  1. はじめに-裁判員制度導入の意義と成功のための条件
    これまでの職業裁判官による刑事裁判は絶望的な状況にある。刑事裁判の大原則として「無罪推定の原則」がある。しかし,我々は,職業裁判官がこの原則に従っているとは考えられない場面にしばしば遭遇する。なぜなのか。日本の刑事裁判の有罪率は99.9パーセント以上と言われている。つまり,職業裁判官の仕事のほとんどは,有罪判決を書くことなのである。そうすると,どういうことが起こるか。たとえば,「(以前担当した事件と比べてみて)この被告人もまた同じような言い訳をしている。」,「(これまでの経験からして)こういうタイプの証人は絶対に嘘はつかない」などと考えてしまう。それが単なる思い込みや決めつけであっても,そこに職業裁判官しかいなければ,誰もそのことに気づかない。無意識のうちに,「有罪推定」が働いている危険があるのである。 このような刑事裁判の実態のもとでは,我々弁護士が弁護人としていかに努力をしても,依頼者である被告人の権利を十分に守ることには大きな困難があった。 裁判員制度は,このような職業裁判官が独占してきた刑事裁判に一般市民の健全な常識を反映させる制度である。一般市民である裁判員は,法廷で証拠を見聞きし,それを自身の知識,経験に基づいて判断し,評議において,裁判官と議論をする。裁判員が,職業裁判官には気づかなかった問題点を指摘することもあるし,職業裁判官の思い込みや決めつけを訂正することもできる。このように,裁判員制度には,絶望的な状況に陥っている現在の刑事裁判を救い出すことができる可能性がある。
    また,刑事裁判への市民参加は,口頭主義・直接主義の実質化を要請するから,裁判員制度の導入は, 公判を捜査の追認の場とする「調書裁判」を変革し,公判中心主義の手続を実現する重要な契機となる。 今回の制度改革では,刑事訴訟法の伝聞例外規定自体は改正されなかったが,その運用を変化させる条件は存在している。実際,模擬裁判では,書面に依存しない立証が試みられているし,刑訴法321条1項2号に基づく検察官調書の請求について裁判員の意見をも考慮して却下された事例も少なからず報告されている。
    さらに, 裁判員制度の導入は,わが国の刑事司法制度が抱えている問題点を浮き彫りにし,制度改革に新たな可能性を作り出した。 第1に,裁判員制度の導入が,取調べの可視化実現の可能性を,初めて現実的なものとしつつある。取調べの録画・録音制度の必要性は裁判所側からも主張されるようになり, 最高検も「一部録画」の試行に踏み切るという事態は,裁判員制度導入がもたらした変化であり,我々の今後の取組みによって取調べの可視化を実現させる条件が作り出されたことは明らかである。第2に,裁判員制度の導入は,被疑者・被告人の勾留・保釈のあり方について変革する条件を作り出している。十分な公判準備を前提とした集中審理が求められる裁判員裁判では,弁護人と被告人との協議の必要性がさらに高まるから,身体拘束からの早期解放の要請が強くなる。 注目すべきは,裁判所側からも,「裁判員制度の下で連日的開廷が現実のものになると,弁護人と被告人とが打合せに際し十分な意思疎通を図って準備をし,公判前整理手続や公判の審理には十分な準備が整った状態で臨めるようにする必要がある。そのためには可能な限り身体拘束から解放された状態で訴訟の準備を行う必要性が高い。・・・連日的開廷の下での審理を被告人の防御権を害することなく円滑に進行させていくには,基本的に,これまでよりもより弾力的な保釈の運用を行っていくべき」との発言が現れていることである(松本芳希判事(大阪地裁令状部総括)「裁判員裁判と保釈の運用について」ジュリスト1312号〔2006年〕)。そして,こうした変化をとらえた弁護実践は全国で進められており, 公判前整理手続事件を中心に,否認事件であっても第一回公判期日前や直後に保釈が認められるケースが相次いで報告されている。このように,裁判員制度の導入は,今後の取組みによって,人質司法と批判されてきた保釈制度の改善の可能性を広げているといえる。
    このような可能性を持っている裁判員制度を成功させることは,刑事裁判がより一層よい方向に向かい,我々の依頼者である被告人の権利が十分に守られるということを意味する。そして,裁判員制度を成功させるためには,まず,1.裁判員裁判に対応できる弁護態勢を確立することが必要である。その上で,2.裁判員制度自体に含まれる問題点の改善を求め,さらに,3.刑事司法制度全般の改革,4.弁護活動を保障するための環境条件整備を求めてゆくことが必要である。
  2. 弁護態勢の確立
    裁判員制度は,一般市民が裁判員として刑事裁判に参加する制度である。そこでは,これまでの裁判のように大量の書証が法廷に現れるということは想定されていない。また,証人尋問や被告人質問などについても,事実認定者が後に速記録を読み込んで心証をとることは想定されておらず,法廷の場で直接心証をとることになる。さらに,弁護人と裁判官が法曹として有していた「共通理解」も,裁判員には通じなくなる。こうした裁判では,弁護人には,これまでとは違う弁護技術を付加して求められることになる。我々がそのような弁護技術を十分に身につけないままに,裁判員裁判の弁護人を担うことになれば,どんな制度であっても,依頼者である被告人の権利は守れない。
    そこで,我々弁護人は,法廷の場で適切に心証をとってもらえるような尋問技術,法廷の場で裁判員を説得できる弁論技術を身につける必要がある。ところが,現時点では,このような裁判員裁判に対応できる弁護技術を身につけた弁護人の数は,必ずしも多くない。そこで,当会では,このような裁判員裁判における弁護技術を身につけた弁護人を十分な人数養成し,裁判員制度の施行に備えることを目指すものである。
  3. 裁判員制度に含まれる問題点の改善要求
    裁判員制度は,刑事裁判を絶望的な状況から救い出す可能性を持っている。しかし,現在の制度には,問題点もある。それら問題点が改善されれば,市民への過大な負担を軽減し,また,被疑者・被告人の権利がより一層守られることになる。このような観点から,当会は,裁判員制度に含まれる問題点の改善を求めてゆくものである。

    【守秘義務】
    確かに,評議において自由に意見表明できるための条件として,一定の範囲で評議の秘密が守られるべきことは否定できない。しかし,そのために,たとえば,裁判が終わった後に評議の進め方についての感想を述べることまで禁止する必要があるかは大いに疑問である。そのようなことまで禁止することは,裁判員にとっては過大な負担である。また,あまりに広範な規制は,評議が適切になされているかの検証の道を閉ざすことにもなる。
    そこで,守秘義務の対象について限定的な解釈,運用がなされる必要がある。また,罰則の範囲を限定する法改正も求めてゆく必要がある。

    【部分判決制度】
    部分判決制度のもとでは,裁判官と裁判員の間に情報格差が生じ,裁判官と裁判員との対等なコミュニケーションが阻害されるおそれがある。
    一方,被告人にとっては,事件を併合して審理することが利益な場合がある。例えば,背任事件(非対象事件)と危険運転致死事件(対象事件)が同一被告人に係属する場合で,背任事件について,あるいは両事件について争いがあり,長期審理が見込まれるような場合,両事件の審理・裁判に関与できることを条件とするならば,選任されうる裁判員の層は限定されてしまうだろう。部分判決制度によれば,より広い層に裁判員を求めることができるが,このような場合にも部分判決制度の適用を否定してしまうと,併合罪の関係にある事件について併合審理されないおそれが出てくる。しかし,併合されないことになると,有罪となった場合の量刑の点で被告人に不利益が生じる可能性が高い。
    そこで,部分判決制度は,このような裁判員の負担が極めて大きくなる長期事件に限って適用する運用がなされるべきである。当会は,このような運用がなされるよう提言を行うものである。

    【実施後の検証の重要性】
    裁判員制度は,従来の刑事裁判の仕組みを大きく変えるものであるから,実施後においても,改善すべき点が新たに出てくるはずである。それら改善点は,運用の工夫で対応できるものも多いであろうが,中には,法制度の改正が必要となるものもあると考えられる。このような改善を継続するためにも,実施後の状況を的確に検証していくことが極めて重要である。
    裁判員法附則9条は,「政府は、この法律の施行後三年を経過した場合において、この法律の施行の状況について検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて、裁判員の参加する刑事裁判の制度が我が国の司法制度の基盤としての役割を十全に果たすことができるよう、所要の措置を講ずるものとする。」と規定しているが,この3年後検証の機会などを通じて,改善の努力を続けることが必要である。 

  4. 刑事司法制度全般の問題点の改善要求
    1項で述べたとおり,裁判員制度の導入は,わが国の刑事司法制度が抱えている問題点を浮き彫りにし,制度改革に新たな可能性を作り出した。この機会をとらえて,さらに刑事司法制度の問題点の改善を進めてゆくことは,被告人の権利を守ることに大いに役立つものである。そこで,当会は,このような刑事司法制度全般に関する改善の動きをさらに前進させる努力をするものである。

    【取調べの可視化】
    裁判員裁判においては,これまでのような自白の任意性に関する水掛け論の審理は困難となることについて認識が広がり,裁判所側からも,取調べの可視化の必要性が指摘されるようになった。この指摘を受けて,検察庁も,取調べの一部録画を試行するに至った。取調べの可視化は,以前から日弁連が取り組んできた課題であるが,裁判員制度導入が,実現への条件を変化させたことは明らかである。
    もちろん,検察庁が考えているような一部録画では全く不十分であるので,当会は,取調べの全過程を録画・録音する法制度の導入を目指すものである。

    【人質司法】
    これまで,日弁連は,いわゆる人質司法を強く批判し,保釈問題についての実践面での問題提起と制度改革の提言を続けてきた。それでも,人質司法の問題は深刻な状態が続いてきたが,裁判員制度の導入は,この点でも新たな条件を作り出している。既に,裁判員制度に先だって施行された公判前整理手続事件では,否認事件であっても第一回公判期日前や直後に保釈が認められるケースが相次いで報告されている。以前は,考えられなかったことである。
    裁判員裁判は,連日的開廷で行われることが想定されている。その状況で,被告人側が防御を尽くすためには,弁護人と被告人とが綿密な意思疎通を図って準備をし,審理に臨む必要がある。そのためには,早い段階での保釈の必要性はさらに高まる。当会は,裁判員裁判における防御の保障のために,運用における改善を追求しつつ,同時に,起訴前保釈制度の導入,刑訴法89条1号(除外事由にあたる罪の限定)や4号の改正(削除ないし要件の厳格化)など保釈制度改革を求めてゆくものである。

  5. 弁護活動を保障するための条件整備
    保釈制度の運用が改善されたとしても,なお,被告人と弁護人との接見が円滑かつ機動的に行われることは,裁判員裁判のみならず,刑事裁判全体の適正化に不可欠の要素である。とりわけ裁判員裁判では連日開廷により,公判直前直後及び休廷中の被告人との打ち合わせが重要になるとともに,公判準備段階においても,必要十分な接見時間が確保される必要がある。裁判員裁判の実施を控え,裁判所接見室の利用や護送時間との調整について,裁判所も検討を始めている。この機に,被告人と弁護人とがより自由かつ十分な接見の機会を確保するよう強く求めてゆく必要がある。
    また,裁判員裁判特有の集中的な弁護活動においては,複数の弁護人が適切に役割分担をしながら弁護を行う必要性が高い。近時公判前整理手続に付された事件において,複数の国選弁護人が選任される実績が現れているが,裁判員裁判では国選弁護人の複数選任を原則的に行う運用とするとともに,裁判員裁判以外の裁判でも,否認事件など必要性が高い事件で複数の国選弁護人が選任されるよう求めてゆく必要がある。
    裁判員裁判における集中審理に対応するためには,弁護人は日常業務を調整して,これに没頭することが必要となることが想定される。このため,裁判員裁判特有の労力及び経済的負担を補う適正な国選弁護報酬が保障される必要がある。また,弁護活動の質と量を確保するためには,より多くの弁護士が納得して刑事弁護を担うことのできる環境が整うことが必要であり,そのためには裁判員裁判事件以外の刑事事件における国選弁護報酬の適正化も強く求めるべきである。

以上

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