2013.02.23

法曹養成に関する決議

2013年(平成25年)2月23日
埼玉弁護士会臨時総会

第1 決議の趣旨

  1. 司法試験法を改正して、
    1. 司法試験の受験資格から「法科大学院課程修了」を削除する
    2. 5年間で3回の範囲内でしか司法試験を受けられないとする「受験回数制限」を廃止することを求める。
  2. 司法修習生の修習資金の貸与等を定める裁判所法第67条の2を改正して、司法修習生に対する給与の支給を復活させ、これを「第65期司法修習生」にまで遡って適用することを求める。

第2 決議の理由

1.司法試験法改正の経緯

1999年7月に政府が設置した司法制度改革審議会は、2001年(平成13年)6月12日付けにて「司法制度改革審議会意見書」を公表した。その中で「法曹養成制度の改革」として「司法試験という『点』のみによる選抜ではなく、法学教育、司法試験、司法修習を有機的に連携させた『プロセス』として」「法科大学院を設けることが必要かつ有効である」とした。
これを受け、司法試験法及び裁判所法の一部を改正する法律(平成14年法律第138号)及び法科大学院の教育と司法試験等との連携等に関する法律(平成14年法律第139号)が制定された。
その結果、司法試験を受験する資格として法科大学院課程を修了することが原則的要件とされた。併せて、司法試験の受験は、法科大学院修了日後の最初の4月1日から5年を経過するまでの間に3回までという受験回数制限が設けられた(司法試験法4条1項)。

2.「点」から「プロセス」へ

確かに、従前、大学法学部での教育が司法試験受験と直結するものでなかったことは事実であるから、司法試験合格という事柄だけをとらえれば「点」による選抜といい得るかも知れない。しかし、司法試験合格後の司法修習と法曹となってからのOJTが法曹三者いずれにおいても有機的に連携されたもので、それらを経て一人前の法曹に育つのが通例であった。このように法科大学院設置以前の法曹養成課程においても、司法試験合格後において「プロセス」としての法曹養成が実現されていたのである。
他方で、現在の法科大学院設置以降の法曹養成課程においては、司法修習の前期課程が廃止されるとともに修習期間自体が1年にまで短縮され、さらには修習専念義務の支柱であったはずの給費制が貸与制へ移行された結果、司法修習の環境は従前に比して著しく後退・悪化している。また、新人弁護士の場合はOJTの機会を得るため既存の法律事務所に勤務弁護士として就職することが本来不可欠なはずであるが、昨今の弁護士激増による就職難が「即独」や「軒弁」を続出させ、それら形態の新人弁護士にはOJTの機会が殆どないという状況にある。
司法試験受験資格に法科大学院課程修了を必要とすることで法学教育と司法試験合格とがある程度連携されたといい得るかもしれない。しかしながら、その後の司法修習環境自体が悪化し、さらには新人弁護士の少なからずにOJTの機会が奪われるという現状を見る限り、「プロセス」としての法曹養成課程が実現されたとはいえないであろう。

3.法科大学院修了課程を受験資格とすることの問題点

  1. 法科大学院修了課程に必要な経済的負担
    法科大学院を修了するための学費は、旧国公立で見ても授業料だけで年額80万円程度のほか入学金30万円程度が必要とされ、私立の場合は授業料だけでも年間100万円から150万円といわれている。
    日本弁護士連合会が2009年(平成21年)11月に新63期司法修習予定者に対して実施したアンケート結果によると、回答者1528名中807名(52.81%)が法科大学院で学ぶために奨学金を利用したと回答した。そのうち、最高額は1200万円であり、平均でも318万8000円との結果であった。
    このように、法科大学院課程修了を司法試験受験資格とすることは、法曹を志す者に対し多大な経済的負担を課すことにほかならず、これはいわば経済的障壁とでもいうものになっている。
  2. 法科大学院修了課程に必要な時間的負担
    法科大学院の課程を修了するためには、「既修」で2年間、「未修」で3年間、法科大学院で学ぶ必要がある。そして、司法試験を受験できるのは法科大学院課程を修了した年からとなるから、司法試験に合格し司法研修所に入所できるまでには、最短で法科大学院入学から3年の期間を要することとなる。
    このように、法科大学院課程修了を受験資格とする現行法のもとでは、当該課程修了までの間の時間的な負担がいわば時間的障壁となっている。
  3. 法曹志願者層の狭小化
    法科大学院の授業の予習・復習及び課題の負担は過重で、しかも法科大学院の授業内容が司法試験の受験内容と必ずしも一致するわけではない。そのため、仕事を持ちながら夜間の法科大学院に通うことはきわめて困難で、法科大学院に入学しようとすれば仕事を辞めざるを得ない。
    このように、法科大学院修了課程を司法試験受験資格とすると、仕事を持ちながら法曹を志す者を事実上排除するに等しい影響が生ずる。
    また、司法試験合格者に占める非法学部出身者の割合は、平成19年以降、年々下降の一途を辿っている。実際、平成21年は新司法試験における非法学部出身者の割合は20.9パーセントと同年の旧司法試験における非法学部出身者の割合27.2パーセントを大きく下回った(平成22年12月付け総務省「法科大学院(法曹養成制度)の評価に関する研究会報告書」添付資料12頁〜13頁)。
    このように法曹志願者層が狭小化しているのが現実である。
  4. 法科大学院志願者の激減
    法科大学院に入学するには法科大学院適性試験を受験する必要がある。この点、2003年(平成15年度)の適性試験志願者数は、大学入試センター実施が3万9350人、日弁法務研究財団・商事法務研究会実施が2万0043人で、双方の適性試験を受験した者の数を勘案しても、ほぼ5万人程度が法科大学院を受験したとされている。ところが、平成24年度の全国統一適性試験志願者実数は6457人と約7分の1以下にまで激減している。このままでは、法曹を志す者が減少する一方である。
    日本国憲法は、国民主権と基本的人権の尊重を基本原理とするが、その中で司法は国民の基本的人権を確保することをもってその重要な使命と位置づけられる。そのため、司法権の独立と裁判官の職権行使の独立が憲法上保障され、裁判所には違憲立法審査権が与えられている。また、憲法37条では「資格を有する弁護人」を依頼する権利が規定されているように、弁護士には憲法上も特別の地位が与えられているが、それは基本的人権の擁護者としての役割ゆえにほかならない。
    このように、司法には立法・行政という多数者支配の場からこぼれ落ちた少数者の人権を保障する公的な使命がある。かような司法制度を適正に運営するうえで、現下のように法曹を志す者の範囲が狭まりその数が減少し続けるならば、ひいては司法制度自体が十全に機能し得なくなる虞が高くなる。
    なお、法科大学院志願者数減少の原因を司法試験合格率の低迷に結びつける意見がある。しかし、法科大学院志願者数の激減の原因は、司法試験合格率とはあまり関係がない。旧司法試験のもとでの合格率は2〜3パーセント程度であったが、受験者数自体は常に2万を超え、ついには2003年(平成15年)に5万人を超えるまで増加の一途を辿っていたことがそれを示す。法科大学院志願者数激減の主たる要因は、司法試験合格率の問題ではなく、法科大学院における学生の経済的及び時間的負担並びに弁護士激増の結果の就職難等にある。
  5. 職業選択の自由との関係 前記のとおり、法科大学院課程を修了するには相当の経済的及び時間的障壁が存在し、この両障壁を乗り越えられる者だけが法科大学院で学ぶことができ、いずれか一方でもクリアできない者は入学さえ断念せざるを得ないのが実態である。
    ところで、職業選択の自由は基本的人権であり、法曹もひとつの職業である以上、法曹資格取得のため合格することが前提的要件となる司法試験というものの受験資格については、本来、可能な限り広く開かれているべきが筋合のはずである。
    しかし、法科大学院課程修了を司法試験受験資格とする限り、法曹という職業を選択する自由の享受を前述のような経済的及び時間的負担に耐えられる者に限定する結果を招来することとなる。
    したがって、職業選択の自由という観点からしても、法科大学院課程修了を受験資格とすることは重大な問題を孕むといわなければならない。
  6. 以上から、司法試験受験資格から法科大学院修了という要件を廃止すべきである。

4.受験回数制限について

受験回数制限については、受験競争の激化や大量の司法試験浪人の発生という旧試験の弊害の防止が理由とされることがある。しかし、そもそも人生の選択とその責任は個々人に帰属するものである。そうであれば、あえて試験制度として受験希望者を「切り捨て」なければならないとする合理的な理由は見い出し難い。
また、前記のとおり、法曹を志す者は司法試験の受験に至るまでに相当の経済的及び時間的負担を強いられている。しかしながら、受験回数制限があることにより、これらの経済的及び時間的負担が無に帰する可能性があるのであるから、そもそも法科大学院を目指す時点でこのようなリスクを覚悟しなければならず、法曹を志すにあたっての参入障壁につながる。
さらに、司法試験受験生は、このような受験回数制限が設置されていることで、精神的に過大な負担を強いられる。受験回数制限はいわゆる「受け控え」を生み、受験生にとって不安材料の一つになっているのである。
そして、この受験回数制限の諸弊害については、法科大学院課程修了を受験資格から除外したとしても妥当する事柄である 以上から、現行の「5年間に3回」までしか受験できないという司法試験の受験回数制限は撤廃されるべきである。

5.給費制の復活について

日本国憲法は、個人の尊厳を中核とする基本的人権の尊重をその基本原理とする(憲法13条前段・11条・97条)とともに、人権の確保・実現の究極的役割を司法に課している(憲法76条・81条・98条1項)。これこそが人権主体である国民からの司法に対する負託である。このように司法は、立法・行政という多数者支配からは保護されない少数者の人権を擁護し、或いは多数決では実現され難い少数者・弱者の人権を確保・実現する「最後の砦」なのである。
かように重要な使命を負う司法の中核をなすのは何より法曹であるところ、人権尊重を基本的原理とする憲法のもとでかかる法曹を養成するということは、国の本来的責務ということになる。そして、法曹養成のための制度の根幹をなすのが司法修習なのである。
そのような司法修習において育成される司法修習生には、何よりかような司法修習の全課程に専心し切磋琢磨することが求められる。そうとすれば、司法修習生が修習期間中経済的に窮することなく修習に専念できるよう制度構築を図ることが肝要となるはずで、その点を従前から制度的に担保してきたのが「給費制」にほかならない。
しかるに、この間の「給費制」から「貸与制」への移行により、司法修習生の少なからずが経済的困窮状態に陥っている。
以上のとおり司法を担う法曹を養成する制度構築が国の本来的責務であることを改めて確認するならば、「給費制」は是非とも復活されなければならない。併せて、公平の観点からして、復活すべき「給費制」が適用されるのは、「貸与制」移行の初年度にあたる「第65期司法修習生」にまで遡ることが不可欠である。

6.よって

当会は、政府及び国会に対し、意見の趣旨記載のとおりの法改正とそれに必要な所要の措置を速やかに採ることを求める次第である。

以上

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