2014.05.22

解釈改憲による集団的自衛権行使容認に反対し、 非軍事恒久平和主義、立憲主義の堅持に向けた 諸活動に取り組む決意を表明する総会決議

決議の趣旨

  1. 当会は、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする法律家団体の立場から、政府が解釈改憲により集団的自衛権の行使を容認しようとする政策は立憲主義を根底から覆すものであることから、これに断固反対する。
  2. 当会は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやう」(日本国憲法前文)、非軍事恒久平和主義、立憲主義の堅持に向けた諸活動を広く国民とともに取り組むことを決意し、これをここに表明する。

決議の理由

第1 当会の活動について

  1. 当会は、2008年5月24日、日本国憲法が掲げる非軍事恒久平和主義を堅持し、21世紀を平和と人権の世紀とするために弁護士会として諸活動に取り組む決意を表明すべく、「日本国憲法の平和主義を堅持することを求める決議」を採択した。
    そして、2012年3月13日、国政に関する全ての情報は広く国民に公開されることが原則であり、これに反する秘密保全法の制定に断固反対の意思を表明した、「秘密保全法」制定に反対する会長声明、2013年7月10日、日本国憲法の立憲主義の堅持と基本的人権保障の見地から憲法改正発議要件の緩和に対し強く反対した、憲法96条の憲法改正発議要件の緩和に反対する会長声明をおこなった。
    更に、2013年11月13日の「憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認並びに国防軍の創設に反対する声明」においては、集団的自衛権の行使を容認する解釈変更や法律の提案並びに国防軍を創設する提案が、日本国憲法が掲げる非軍事恒久平和主義、立憲主義を根底から覆すことから、これに強く反対する声明を発表するなど、当会は、時勢に対応した意思表明をしてきた。
  2. また、当会は、市民と一緒になり、2013年11月、特定秘密保護法制定に反対するパレードを、300人を超える規模で行うとともに、街頭演説、ビラ配りを行い、特定秘密保護法制定に断固反対する意思表示及び行動を示した。
    憲法と人権を考える市民の集い(市民集会)も毎年開催し、2014年4月9日、なぜ、今「集団的自衛権」なのか~「積極的平和主義」の意味すること~と題して開催した市民集会では、参加者が600名を超える規模にまでなっている。
  3. このように、当会は、日本国憲法が掲げる非軍事恒久平和主義、立憲主義を堅持するため、時勢に応じた意思表明をするに留まらず、市民と一緒になり諸活動を展開してきた。

第2 政府の動向について

  1. 前、政府は、憲法第9条の下における自衛権の行使については、我が国に対する急迫不正の侵害があり、これを排除するために他の適当な手段がない場合に、必要最小限度の範囲のものに限って許容されるものであって、我が国が直接武力攻撃を受けていない場合に問題になる集団的自衛権の行使は、その範囲を超えるものとして憲法上許されないとの立場をとってきた。
  2. しかし、2012年12月、安倍晋三内閣が発足すると、憲法改正発議要件の緩和を試み、これは世論の強い反対を受け断念をしたが、現在、憲法改正の手続に拠らず、単なる憲法解釈の変更により、憲法が掲げる諸原則を破壊する準備を推し進めている。
  3. 政府は、2013年1月、集団的自衛権の行使が大きな方針の一つであることを表明し、同年2月、集団的自衛権の行使を容認する等の報告書を2008年6月に作成した「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(以下、「安保法制懇」という。)を再開した。
    そして、2013年8月、従前、集団的自衛権の行使は日本国憲法上許されないという立場を維持してきた内閣法制局の長官を、集団的自衛権行使容認論者であると考えられる小松一郎氏に交代させた。
    2013年12月、国家安全保障会議(以下、「日本版NSC」という。)を創設し、自衛隊の活動範囲の拡大強化を図り、次いで、自衛権行使要件の緩和につながる可能性を有する「国家安全保障戦略」「平成26年度以降に係る防衛計画の大綱」「中期防衛力整備計画」を閣議決定した。
    同年12月、国会周辺で連日デモが行われ、マスコミが反対の論陣を張り、学者や芸術家等各界の団体からも反対声明や記者会見が相次いで行われるなど、国民の広汎かつ強固な反対にもかかわらず、防衛や外交等に関する情報の取得、漏洩に関する国民の行為を広汎かつ厳しく処罰する内容を有する特定秘密保護法を、十分な審議を尽くすことなく制定させた。
    2014年4月、事実上一切の武器の輸出を禁止することで、我が国が非軍事恒久平和主義を掲げる国家であることを裏付けてきた武器輸出三原則を見直すとして、武器輸出が禁止される対象国を例外的とし、目的外使用や第三国移転をしないとの合意ができた場合には武器の輸出を認めるなど、武器輸出を原則可能とする防衛装備移転三原則を閣議決定した。
  4. そして政府は、同年5月15日、安保法制懇の報告書を受け、従来の政府解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更を行う方向性を示した。
    この集団的自衛権行使容認という流れは、今後、自衛隊法や周辺事態法(周辺事態に際して我が国の平和と安全を確保するための措置に関する法律)など、関連個別法の改正により具体化することが予想される。
  5. この様に、政府は、憲法解釈の変更を閣議決定することによりあるいは法律を改正することにより、日本国憲法が禁止している集団的自衛権の行使を容認する方向を作出している。

第3 日本国憲法が掲げる立憲主義からの考察

  1. 現在の政府は、集団的自衛権の行使が憲法上許されないものであるという従前からの一貫した政府見解を、時の政府の一存により、しかも、あくまでも安倍晋三首相の私的な懇談会でしかない安保法制懇の報告を受け、憲法解釈の変更を閣議決定することにより改変しようとしているが、この様な政府の行為は、立憲主義を根底から覆すものである。
  2. 日本国憲法は、「すべて国民は、個人として尊重される」(13条前段)ことを核心的原理とし、その実現のため、基本的人権を侵すことのできない永久の権利として保障し(11条、97条)、基本的人権を担保するため、権力を分立させ(41条、65条、76条)、最高法規たる憲法に反する一切の法律や行政行為などを無効にした(98条)。また、内閣総理大臣をはじめとする公務員に対し憲法遵守擁護義務を課した(99条)。
    この様に、日本国憲法は、個人の尊重を核心的原理とし、人権保障を図るために、主権者たる国民が、権力を行使する者に対し、その人権侵害の危険性をはらむ権力を制限するための諸原理を設け、立憲主義を掲げている。
    個人の尊重と人権保障を内容とする立憲主義は、近代自由主義国家が共有するものであり、近代憲法の存立意義でもある。
  3. 現在、政府は、これまで積み重ねられてきた集団的自衛権に関する基本見解を根底から覆そうとしている。
    しかし、時々の政府の方針により、長年にわたり積み重ねられ維持されてきた憲法条項に関する政府の見解を根本的に変更することができるのであれば、それは、実質的な憲法条項の改正に他ならず、立憲主義を根底から覆すものであると言わざるを得ない。
    そもそも、政府は、日本国憲法を遵守する義務を負っていることから、憲法規範の範囲内で活動することが求められるものであり、政府にとって不都合な憲法規範を解釈のみにより変更することは、権力を制限するために憲法を制定した立憲主義自体の否定である。 この様な政府の行為は、国民個人の人権保障を至高の価値とする立憲主義を基礎とする日本国憲法が、近代立憲主義を採用しなかった明治憲法下での歴史の反省の上に制定されたという事実を無視するものであり、到底看過することができない。 たとえ選挙により選出された国会議員の多数派により構成された政府であろうが、その多数派により、権力が濫用され、人権侵害とりわけ少数派の人権侵害が生じることは歴史の示すところであるから、国会議員という公務員に対し憲法遵守義務を課していることに変わりがない。 選挙によって選出されれば、多数派であれば、何をやっても構わないという現在の政府の行為は、立憲主義の否定である。 立憲主義を掲げる日本国憲法は、時の民意を超えて存在する根本規範である。
    また、現在の政府の行為は、内閣法制局をはじめ、これまで政府が積み重ねかつ尊重してきた歴代の基本見解を覆すものである。 そして、時の政府により、確立した憲法解釈を全く正反対の解釈に替えることができるならば、憲法は、時の政府の意向を権威付けするだけのものとなり、立憲主義が国民個人の人権保障を至高の価値としたことから生じる憲法の最高法規としての存在基盤を失わせることになる。
  4. 以上のとおり、現在の政府の行為は、日本国憲法が掲げる立憲主義に反するものであり、立憲主義の否定は、つまりは、個人の尊重と人権保障の否定であり、到底容認できるものではなく、この様な政府の行為に対し断固反対する。

第4 日本国憲法が掲げる非軍事恒久平和主義からの考察

  1. 日本国憲法は、前文で、全世界の人々が平和のうちに生きる権利である平和的生存権を定め、第9条で、単に違法な戦争だけではなく、一切の戦争を禁止し、更には不戦非軍事主義を徹底させることを定めることにより、我が国が、「全世界の平和の確立の基礎を成す、全世界の平和愛好国の先頭に立って、世界の平和確立に貢献する決意を、先ず此の憲法に於いて表明」した(1946年6月26日衆議院本会議における吉田茂首相の答弁)という、非軍事恒久平和主義の実現という崇高な理念を有する世界的にも画期的かつ先駆的な意義を有する憲法である。
     国際法的にみれば、不戦条約第1条は、「国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ」て、戦争を放棄することを宣言し、国際連合憲章第2条第3項は、「国際紛争を平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危くしないように解決しなければならない」と定め、かつ、同条第4項は、「武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と定めることで、武力行使を禁止した。このため、現在の国際法上は、国際紛争解決のための戦争(武力の行使は個別的または集団的自衛権の発動としての武力行使、国連決議に基づいて行う軍事的制裁を除く)を、一切違法なものとして、これを禁止している。
    しかし、日本国憲法はこれに留まらず、その第9条第2項において、特に、陸海空軍その他の戦力を保持せず、交戦権を否認することを定め、非軍事主義を徹底させた。
    これは、我が国が、先の大戦において、アジア諸国やその国民に対し、甚大な被害を与え、かつ、我が国もまた、世界唯一の被爆国となるなど戦争の惨禍を経験したという歴史的反省に立つものである。
    日本国憲法の前文の平和的生存権及び第9条の徹底した非軍事主義は、歴史的反省に立ち、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」すべく、世界に掲げた非軍事恒久平和の決意の表れである。
  2. 独立主権国家は、外国からの急迫または現実の違法な侵害に対して、自国を防衛するために必要な一定の実力行使をする権利と解される個別的自衛権を有していると解されるところ、我が国が個別的自衛権を有しているかについては見解が分かれているが、日本国憲法が非軍事恒久平和主義を掲げていることに照らせば、「戦争放棄に関する本案の規定は、直接的には自衛権を否定しておりませぬが、第9条第2項に於いて一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、又交戦権も放棄したのであります」(1946年6月26日衆議院本会議における吉田茂首相の答弁)ということになろう。
    従前からの政府見解においても、日本国憲法が非軍事恒久平和主義を掲げることを踏まえ、我が国が、主権国として持つ個別的自衛権までも放棄したものではないと解しながらも、個別的自衛権を発動するためには、①外国から加えられた侵害が急迫不正であるという違法状態の要件、②防衛行為以外に手段がなく、そのような防衛行為をとることがやむを得ないという必要性の要件、③自衛権の発動として取られた措置が加えられた侵害を排除するのに必要な限度のものであり、つり合いが取れていなければならないという均衡性の要件が必要であるとして、個別的自衛権行使にすら厳しい要件を課し、歯止めをかけている。
    ところで、現在の政府が憲法解釈の変更により容認しようとしている集団的自衛権とは、国際法上、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利と解されている。
    従前からの政府見解では、この様な集団的自衛権については、「憲法9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するための必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」(1981年5月29日政府答弁書)という立場を一貫して維持している。
    すなわち、集団的自衛権の行使は、我が国が直接攻撃されていないにもかかわらず他国に加えられた武力攻撃を実力で阻止することであるから、わが国に対する急迫不正の侵害に対するものではなく、国民の生命財産が危機に瀕している状態下での個別的自衛権の行使とは異なり、憲法第9条のもとで許容される実力行使の範囲を超えるものであり、集団的自衛権の行使は日本国憲法上許されないのである。
    非軍事恒久平和主義を掲げる日本国憲法にあっては、たとえ、国際法上は行使することが許容される集団的自衛権であっても、あえて、これを否定したことこそが核心的部分なのである。
  3. ところで、政府は、いわゆる砂川事件の最高裁判所判決を根拠に、集団的自衛権の行使が憲法上可能である旨主張するが、砂川事件の最高裁判所判決自体は、我が国に駐留する米軍が「戦力」に当たらないこと、すなわち、米軍の駐留に関する判断を行ったものであり、自衛隊について言及するものではない。
    そもそも、我が国の違憲審査権は、付随的審査性を採っており、砂川事件の最高裁判所の憲法適合性の判断が、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3条に基づく行政協定に伴う刑事特別法違反被告事件」という刑事事件の中で行われた違憲審査権の行使であることから、刑事事件の判断に必要な範囲で憲法適合性の判断が行われたにすぎない。
    確かに、砂川事件判決には、自衛権について言及はあるが、これは、「わが国が主権国として持つ固有の自衛権」は、「自国の平和と安全を維持しその存 立を全うするために必要な自衛のための措置」としてこれを認めていること、 すなわち、個別的自衛権について言及したに過ぎない。また、集団的自衛権についての言及もあるが、これは、日米安全保障条約の憲法適合性判断につ いて、いわゆる統治行為論を用いて憲法判断を回避した中で、「国際連合憲章 がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認し ている・・・」と述べているに留まる。すなわち、集団的自衛権が国際法上 認められていることを指摘したに留まり、集団的自衛権の行使が憲法上認め られているとの判断までは行っていないのである。
    この様に、砂川事件の最高裁判所判決によって、集団的自衛権の行使を正 当化する余地はなく、現在の政府は、最高裁判所判決までも、政府の都合の いいように曲解し、集団的自衛権行使容認の根拠としようとしているのである。
  4. また、政府が主張する集団的自衛権の限定的行使容認の主張は、そもそも、 集団的自衛権の行使自体が憲法上許されていないのであるから、これを限定 的であるにせよ容認することはできず、更に、限定的という制約も、結局は、 政府の解釈に委ねられることとなり、制限の歯止めにならない。
    国際司法裁判所は、ニカラグア事件判決において、集団的自衛権の行使が 認められる要件について、「武力攻撃の直接の犠牲国による、武力攻撃を受け た事実の宣言及び他国への援助の要請が必要である」と判断をし、集団的自 衛権の行使が認められる場合を限定化しているが、現実の国際政治の中では、 1956年の旧ソ連によるハンガリー動乱における武力行使、1968年の 旧ソ連によるチェコスロバキア侵攻、1969年のアメリカによるベトナム 戦争、1979年の旧ソ連によるアフガニスタン侵攻、1981年のアメリ カによるニカラグア軍事介入、2001年のアメリカに拠るアフガニスタン 戦争、そして、2003年のアメリカに拠るイラク戦争など、集団的自衛権 の行使が認められる要件を満たさないにもかかわらず、集団的自衛権という 名の下、相手国の国内紛争への軍事介入が繰り返されてきた。そして、複数 の関連国家が、集団的自衛権の名の下に、これらの軍事介入、軍事行動に参 戦してきた。
    この様に、集団的自衛権の行使要件を限定化したとしても、自衛権の行使 としてではなく、軍事介入のための口実となってきたのが歴史の示すところ である。そして、集団的自衛権の行使を限定的であるにせよ認めることは、 結局のところ、日本が軍事介入や戦争に加担することを認めることになり、 このことは、憲法第9条に正面から反することになる。
    このため、政府が主張する集団的自衛権の限定的行使容認の主張も認める ことはできない。
  5. 以上のとおり、日本国憲法は、非軍事恒久平和主義を掲げ、集団的自衛権 の行使を否定することをその核心部分とした。そして、従前の政府見解もこ れを前提として集団的自衛権の行使が憲法上許されないことを明らかにしてきた。
    現在の政府が行おうとしていることは、日本国憲法が掲げる非軍事恒久平 和主義に真正面から反し、これまで、我が国の平和を築き上げてきた不断の 努力を蔑にするものであり、この様な政府の行為に対して断固反対する。

第5 結論

以上のとおり、日本国憲法は、非軍事恒久平和主義、立憲主義を掲げている。
そして、日本国憲法は、その非軍事恒久平和主義のもと、集団的自衛権の行使を禁止しており、憲法上禁止された集団的自衛権の行使を憲法解釈の変更により容認しようとする政府の行為は、非軍事恒久平和主義、立憲主義に反する。
そこで、当会は、以下のとおり決議する。

  1. 当会は、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする法律家団体の立 場から、政府が解釈改憲により集団的自衛権の行使を容認しようとする政策 は立憲主義を根底から覆すものであることから、これに断固反対する。
  2. 当会は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやう」(日 本国憲法前文)、非軍事恒久平和主義、立憲主義の堅持に向けた諸活動を広く 国民とともに取り組むことを決意し、これをここに表明する。

以 上

2014年(平成26年)5月22日
埼玉弁護士会

戻る