2015.10.14

緊急事態条項(国家緊急権)を新設する憲法改正に反対する会長声明

2012(平成24)年4月に自民党が公表した日本国憲法改正草案(以下「自民党改憲案」という。)には,国家緊急権(戦争・内乱・大規模自然災害などの緊急事態の際,政府が平時の統治機構では対処できないと判断した場合に,憲法秩序を一時停止して非常措置を行う権限)を具体化した緊急事態条項(第98,99条)が盛り込まれている。
そして,本年5月7日,衆議院の憲法審査会は,今後議論すべきことについて自由討論を行い,実質審議に入った。その中で自民党は,優先的に議論すべき事項として緊急事態条項を挙げ,民主党,維新の党,公明党などもこれに言及した。
たしかに,「現行憲法には緊急事態条項がないため東日本大震災の際に迅速な対応ができなかった」「自然災害に迅速に対応するために緊急事態条項が必要である」と言えば,聞こえはよい。
しかし,大規模な自然災害に対しては,現行の災害対策基本法,自衛隊法,警察法などによって十分に対処できる。東日本大震災での対応が不十分だったとすれば,それは憲法に緊急事態条項がないからではなく,準備不足など運用の問題である。
近代国家において,国民の権利・自由に対する最大の侵害主体は国家である。憲法は,国家権力を制限して,国民の権利・自由を守ることを目的として存在する。これに対し,国家緊急権は,国家権力から国民の基本的人権を擁護するための憲法秩序を一時停止させる権限を国家権力自身に与えるものであるから,立憲主義を破壊する大きな危険性を孕んでいる。事実,国家緊急権は歴史上も国民の権利・自由を制限するための道具として使用されてきた。例えば,ドイツのヴァイマール憲法48条の大統領非常権限は14年間に250回以上行使され,ヒトラーの独裁へとつながっていった。フランス第5共和国制憲法16条の緊急権もド・ゴール大統領により濫用され,アルジェリアをめぐる反乱を1週間も経たずに鎮圧したにもかかわらず,その後5か月にわたり適用され続けた。
ところで,自民党改憲案98条1項は,「我が国に対する外部からの武力攻撃,内乱等による社会秩序の混乱」を緊急事態の宣言を発する一場面として明記している。そして,自民党改憲案99条1項は,内閣総理大臣が緊急事態を宣言した場合に,内閣に法律と同一の効力を有する政令の制定権を,内閣総理大臣に財政の支出権と地方自治体の長に対する指示権を与えている。内閣に国会と同様の立法権を与え,財政国会中心主義や租税法律主義といった財政面の民主的規律を棚上げすることで,戦争遂行のための租税徴収や財政執行が可能となる。地方自治体に対する指示権により,例えば地方自治体が管理する空港や港湾を政府の意のままに使用することも可能となり,このことも戦争遂行を容易にする。
また,自民党改憲案99条3項は,緊急事態の宣言が発せられた場合には,何人も,法律の定めるところにより,国その他公の機関の指示に従わなければならないと規定している。この場合においても,第14条(法の下の平等),第18条(奴隷的拘束及び苦役からの自由),第19条(思想及び良心の自由),第21条(表現の自由)その他の基本的人権に関する規定は「最大限に尊重されなければならない」とされているが,「侵害してはならない」とは規定されていない。そのため,本条項を根拠に政府に反対する勢力の表現の自由や集会の自由などの規制が正当化される危険性が高い。また,国民の意に反した徴兵制が創設されるおそれもないとは言い切れない。
現在の安倍政権は,憲法学者の大多数が違憲と指摘し,国民の理解や承認が得られていない安全保障関連法案を参議院で強行採決し,本年9月19日未明に同法案を成立させた。国会を軽視し,国民に対する十分な説明をしないうちに,我が国を戦争しやすい国へと変えようとしている。
本年10月1日付け東京新聞によると,自民党の古屋圭司憲法改正推進本部長代理が本年9月30日に東京都内で開かれた会合で,「憲法改正の本音は9条だが,まずは国民の理解を得られやすい緊急事態条項から着手したい」意向を示したとの報道がされている。災害対策は緊急事態条項を新設する名目にすぎないことがわかる。
以上より,緊急事態条項は災害対策にはまったく必要ではなく,立法事実が存在しないばかりか,むしろ立憲主義を破壊し,憲法が国民に保障する基本的人権を蹂躙する可能性も帯びており,さらには戦争遂行を容易にする危険性が高いから,当会は,緊急事態条項(国家緊急権)を新設する憲法改正に反対する。

以上

2015(平成27)年10月14日
埼玉弁護士会会長  石河 秀夫

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