2022.03.10

岡口基一裁判官を罷免しないことを求める会長声明

  1.  裁判官訴追委員会は、昨年6月16日、岡口基一裁判官の罷免を求めて裁判官弾劾裁判所に訴追した。訴追状には13件の罷免事由(以下「本件訴追事由」という)が掲げられているが、いずれも職務と直接関係しないSNS上での書き込み及び取材や記者会見での発言という表現行為である。
     当会は、本件弾劾訴追については、岡口裁判官個人の問題にとどまらず、裁判官全体、ひいては市民の権利・自由にかかわる問題であると認識し、以下のとおり意見を表明する。

  2.  憲法78条は「裁判官は、裁判により心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない」と定め、裁判官の身分を厚く保障している。これを受け裁判官弾劾法2条2号は、職務外の行為に対する弾劾による罷免の事由(以下「弾劾事由」という)を「裁判官としての威信を著しく失うべき非行があったとき」に限っている。
     これは、裁判官が市民の権利・自由を擁護しあるいは逆にこれらを剥脱することを決する裁判という重要な国家作用を担うことから、その身分を保障して職権の独立を確保しようとする趣旨に出たものである。
     この制度趣旨に照らすと、弾劾事由の該当性は厳格に解されなければならない。それゆえ、従前の弾劾裁判における罷免事由は、涜職などの明らかな犯罪行為や、児童買春、ストーカー行為あるいはスカート内盗撮などといった破廉恥行為であった。
     しかるに、このような従前の罷免案件と異なり、本件訴追事由の場合、そのいずれもが職務外の表現行為である点が特に問題となる。

  3.  もともと日本国憲法制定過程において、GHQ民政局の起草委員会がアメリカ合衆国憲法の弾劾制度に倣った制度を構想していた。合衆国憲法では、弾劾対象はすべての合衆国文官であり、訴追権限は下院に、弾劾裁判権限は上院にそれぞれ専属させている。
     これに対し日本の弾劾制度は、裁判官のみが対象とされ、訴追委員会が衆参両院議員各10名、弾劾裁判所が衆参両院議員各7名で構成されるものである。そこには党派性や政治的利害対立などが完全に払拭されているのか疑問が残り、この制度には、裁判官の職権の独立確保という見地から構造的な問題があると指摘せざるを得ない。

  4.  加えて、議会多数派により構成される議院内閣制のもとでの我が司法府の政治部門からの独立は、大統領制をとる諸国のそれと比較して相対的に弱い。かような我が司法府の内部における裁判官の職権の独立についても、その裁判官統制の強化によりあまりに心もとないというのが現状なのである。
     このような中で、本件のように職務外の表現行為を理由として裁判官の罷免が認められた場合、それは裁判官全体に対し、市民的自由享受へのさらなる萎縮効果を及ぼすものとなるであろう。
    かくして、市民的自由を十分に享受し得ない裁判官の輩出が連綿と続くこととなり、そのような裁判官に個々の市民の権利・自由擁護の姿勢を期待することは一層困難となっていく。
     かような事態は、裁判過程を通じて実現されるべき市民の権利・自由、とりわけ裁判を受ける権利の確保という観点からは到底看過し得ないものである。

  5.  よって、当会は、弾劾裁判所に対し、本件訴追事由の弾劾事由該当性について冷静かつ慎重に審理し、罷免しないことを要請する次第である。

以上

2022(令和4)年3月10日
埼玉弁護士会 会長 髙木 太郎

戻る